「伊豆の踊子」は、形式的にはほぼ一人称単数視点から記述された物語でありながら、多視点を含意する記述を含んでおり、複数の視点から見られた物語内容を語ることを可能にしています。これを、様々な登場人物や非人物の視点に入り込み、自由に多視点を用いて記述する、いわゆる「全知の視点」と区別するために、語りの多声的用法と呼ぶことにします。
この観点からとらえた「伊豆の踊子」の物語世界は、表層的には一脇役と見えた栄吉こそが、その主人公であるとすら言える影響力をもつ世界です。利己的な行為を繰り返す栄吉の真の姿は、表面的な語りの水準からは隠されています。踊子への淡い恋心や、孤児根性へのコンプレックスを癒される「私」の物語の下層に、利己的で無配慮な「私」の様相が語られている点については近年すでに指摘がありますが、さらにその下層には、栄吉の真の姿が潜まされており、一見無配慮に見えた「私」の行為を宰領するものですらあったのです。
表層の物語を裏切るこの深層は、まさにポリフォニックな声部と言ってよいでしょう。