小林秀雄の文章がエトムント・フッサールの著作から受けた影響の痕跡を検証した。昭和十年代後半以降の小林の批評傾向を代表する作品の一つである「無常といふ事」(一九四二年)中の、「人間になりつゝある一種の動物」、「思ひ出」される歴史、「生きてゐる證據だけが充満」する時間、といった文言と、エトムント・フッサールの著作『デカルト的省察』(一九三一年)、『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(一九三六年)等の記述とを照合し、前者が後者の影響下に書かれたであろう事実を例証した。それによって、戦前から戦後にかけての小林が見せた、日本の古典や古典的思想家への傾倒の背後に、フッサールが歴史に対してもった現象学的視線の受容があった事実を裏づけた。さらに、一見、独断的あるいは主観主義的な立場をとったかにも見える小林の批評文の背後に、ヨーロッパ発祥の近代知に対置される〝新たな客観主義〟ともいうべき認識論への追究姿勢があった事実を裏づける事例の一端とした。