明治初期の、芸術教育を富国強兵の礎ととらえる体制側の教育思想に対立する存在として、反功利主義的な立場から芸術教育を主導するフェノロサ、巖本善冶らがいた。しかし両者はその見かけに反して、根本に同じ発想を持っている事実を指摘した。 それは芸術教育を道徳・宗教と結びつければ、結果として国家を繁栄に導く経済効果を持つという発想であり、それが19世紀末ドイツのディレッタンティズム運動に由来するものである事実を明らかにした。