マックス・ヴェーバーの大学における事蹟を第一次史料から解明し、彼の後半生における職業人としての歩みを跡づけた。従来、彼は1903年にハイデルベルク大学を退職したと誤認されてきたが、じつはその後も在職しつづけ、無給のまま学生指導等に精力的に取りくみ、ドイツの大学問題にたいしても旺盛な発言をなし、大学改革にも積極的に参画していたことが判明した。