カール・ラートゲン(1856-1921)は、義兄グスタフ・シュモラーの勧めもあって、東アジアの社会経済関係の実態を調べるために来日し、そこで阪谷芳郎(1863-1941)らの俊英を育成した。阪谷は、二十歳前後に、ラートゲンのために近世史料を英訳解説し、それに依拠してラートゲンは日本史論を展開した。これは、のちにヴェーバーやヒンツェらの日本理解に大きな影響を与えることになった。