弘仁三年(812)十一月十五日金剛界、十二月十四日胎蔵界の灌頂を高雄山寺において空海が行った。この時の暦名を空海自らが記したのがこの「灌頂記」である。この作品には、唐の顔真卿の影響が色濃く出ていると一般に説明されているが、必ずしもそれはあたっていないとし、十四日の記述では、巻紙を書くような形で記されたため、このような筆跡になったとの説をうちだした論である。