「天演」と「進化」という二つの語が中国と日本との両国の近代思想史においてそれぞれ持っていたシンボル的な意義は言うまでもない。単なる漢字形態そのものが異なるものだけではなく、より重要なのは「進化論」を両国のそれぞれの言語のなかに受けいれられたのち、形成した「概念装置」と知識体系の重大な相違を意味するのである。結果として、厳復の進化論訳語が日本の訳語に取って代われたが、なぜこういうことなったのかというもんだンについて魯迅と丘浅次郎との関係を通して再検討した。