従来、諸橋轍次(1883―1982)に対する評価は、主に儒学研究と『大漢和辞典』編纂が中心であったのに対して、拙論は「諸橋轍次と近代中国との関係」という視点から諸橋轍次と中国人学者、とりわけ五四新文化運動時の中国人学者との交流の実態を調査することによって、五四新文化運動の生き証人としての諸橋轍次の存在を見いだすことで、従来の諸橋轍次を評価する視点を見直し、諸橋の留学及び同時代中国知識人との交流という視点から漢学者としての諸橋轍次の歴史的貢献について再評価を試みる一方、諸橋轍次が交流の過程で残した記録や物品などを通して中国五四新文化運動のこれまでほとんど知られることのなかった側面を明らかにしようとするものである。具体的には、一次資料としていままでほとんど整理されていない墨跡である『筆戦余塵 附知交翰墨』、『筆戦余塵残滓』、『儒林墨蹟』、『辱知学人墨跡』、『辱知前人墨跡 二』、『辱知清儒墨跡』、『先賢遺墨』、『残りの封筒 四』、『掛軸』および中国留学日記手稿5冊を中心に調査・整理し、研究を行った。