本発表は、著者が近年やってきた魯迅研究についての中間総括である。
関心を寄せる問題は「周樹人は如何にして魯迅になったか」、「その内在的精神メカニズムはいかなるものであったのか」である。本論は、周樹人の1902年から1909年に至る日本における留学経験と精神構築は、彼が中国近代文学の開拓者「魯迅」に羽化する過程において要となる役割を果たし、彼がひとりの「近代」作家として知性を完成する準備の段階であったと考える。本論は、これまでの研究の基礎の上に、周樹人と日本書から着手、具体的には進化論の方面から『物競論』、丘浅次郎;国民性思想方面の『支那人気質』、『国民性十論』;個人主義方面から桑木厳翼と煙山専太郎、文学観方面から斉藤信策等の問題について実証研究をすすめ、この四方面の研究の空白をうめることによって、周樹人が明治三十年代の文化背景の下で実際に直面した「西洋」を明らかにした。結論は、「魯迅の西学は主に東方から来た」である。さらに、これはまた、周樹人の日本留学のその時代においては中国が西学を吸収する基本的な経路と形態でもあった。そのことから、本論は最終的に一つの基本的見解を提起する。それはすなわち、日本、とりわけ明治の日本を研究すること、中国にとっても、決して他者に対する研究ではなく、自身の研究にとって欠くことのできない一部である。