善導の五部九巻を解義分・行儀分という分類にとらわれずに、その構成・内容・文学・中国語学・音韻学の諸方面から見つめることによって、『観経疏』も含めて善導の著作すべてが儀礼から生まれた産物であり、大衆的・通俗的な特徴があることを論じた。また後世への影響力は儀礼方面に限定され 、諸伝記や著作をとおして感じられる善導は学僧というよりはむしろ声弁才博 が要求される唱導僧としての実像が浮かびあがってくる。