釈彦琮(557-610)は若くして北斉と北周の文人知識人や皇族関係者とも交流をもち、隋が統一してからも文帝や煬帝からの信任を得て、広く国家仏教の展開に貢献した。こうした交友関係と活躍の背景には、彦琮本人の才知と博識のなさしめることは言うまでもないが、彦琮が魏晋以来の名門中の名門である趙郡の李氏一族の出身であったことが関係していると考えられる。正史の精査を通してそれを検証した。