『般舟三昧経』には見仏の条件として「三念願力」を説いている。それは仏と行者との三種の複合力であるが、善導は『観念法門』において、この「三念願力」を引用しながらも、三種の力全てを仏の側に認め、行者にはいかなる力も認めなかった。それは善導が独自に改変した内容として、慧遠・天台やその後の浄土教の学僧とはまったく異質の新釈であった。いったいなぜ善導はこのように理解したのかを解明する。