北魏に沙門統曇曜らによって撰述された『浄度三昧経』は偽経であるにもかかわらず、律や論に引用された。そして道綽の『安楽集』に見える「浄度菩薩経」について考察を加え、ついで『観念法門』における『浄度三昧経』の位置付けについても検討し、この経典がはたして、浄土教思想における「六部の往生経」であったのか否かを追究する。