中国で撰述された疑偽経典というものは、まったくの「無」から創作されるのではなく、既訳の経典や論疏、さらには外典の構造や思想を借用して創作されるのである。『浄度三昧経』も例外ではなく、調査によって西晋の竺法護によって漢訳された経典からの語彙や文を借用していることが判明した。なぜ竺法護訳経典の影響が色濃く顕れているのかを検討し、同時にその語彙と語法についても解説を加えた。