中国における漢訳史上の双璧、呉の支謙と鳩摩羅什の訳出経典を比較し、ともに語学にすぐれまた詩文も創作しうる資質を備えながらも、前者は偈頌の訳出にあたって可能なかぎり旋律豊かに訳し、後者はその必要を感じながらも宗教としての佛典が異言語に転換される限界を認め、韻律の配慮を施さなかった。しかし『大智度論』にはなぜか配慮されているのであった。当時の漢訳体例をふまえつつ考証を加えた。