漢文体で撰述されている法然の主著である『選択集』をとりあげ、漢文体でありながら、実は変体漢文であることを認識しつつ、訓読文に転換してから理解すべきことを述べた。それはとりもなおさず一次資料を復元することになるからである。また『選択集』に引用されている漢文仏教文献もとりあげ、その語法を当時の訓詁にしたがって解釈した。後半は善導の還帰往生が法然に継承されなかった理由を考察した。