キーワード:ウェッブ夫妻、フェビアン協会、出生率低下問題、女性参政権、家政国家
本稿は、前稿の分析を受けて、まず、ウェッブ夫妻が、1906年後半に、「個人の義務」を着想するに至ったのが、フェビアン協会の「出生率調査」と夫妻によるその分析の結果であったことを論じた。その上で、1906年11月のビアトリス・ウェッブによる医療救済改革プランの提示のなかで、「強制の原則」が言及されたことを指摘した後に、「1907年原則」が、最終的に定式化されるためには、同月のビアトリスの女性参政権支持への転向が不可欠の論理的帰