本稿は、1879年4月にロンドンのピムリコにある陸軍衣類工場で発生した「ピムリコ争議」の分析を通して、19世紀後半のイギリス女性労働組合運動の到達点と課題を明らかにした。結論として、1879年7月に出された同争議の調査報告書を分析することで、同報告書は、ほとんど工場側の主張を是認し、女性労働者の希望を受け入れなかったことが明らかになったことが挙げられる。このような結果になったのは、女性労働者と争議の指導者であるE.パターソンの主張に食い違いがあったことが一因と考えられた。ただし、「ピムリコ争議」は1880年代以降、本格的に問題視される苦汗産業問題を告発した運動の始まりだったともいえる。