応仁文明の乱後の北野社の膝下領である西京について、管轄者である目代による領内住民への対処から、曼殊院門跡による直轄支配およびの支配の実態を検討した。その上で当該期門跡・目代支配が抱えた、祠官松梅院による直轄領支配への介入、伊勢氏の北野社領への浸食という二つの問題を取り上げ、かかる直轄領支配への影響とその変化を考察した。