スウィーニーというペルソナは、ミュージック・ホールや、またボードレールさながらの悪魔主義にふさわしい人物であったのだが、結局は儀式を支えることには似つかわしくはなかった。その結果、エリオットの求める劇とスウィーニーの不協和音は高まり、その崩壊寸前の妥協でき得る限界を示すものが、未完の詩劇『闘技士シウィーニー』であることを論じた。