人の精神は滅するかどうかの問題について、廬山の慧遠は、業をになう現象的主体として、中国に伝統的な「神」を導入し、神を絶境に冥合させることが涅槃だと説いた。それに対して范縝(450年生ー507年以降卒)は、体と用との関係を援用して身体と精神とは一体だと主張。身体が滅ぶと精神も滅することをはっきりと説いて、「神」の継続を当然のこととしていた当時の仏教徒に打撃をあたえた。