廬山慧遠、74歳の時の著作「沙門袒服論」は江州刺史何無忌の問いに対して書かれたもの。「袒服」とは仏典に「偏袒右肩」として現れる言葉。「偏(ひとえ)に右肩を袒(はだぬ)ぐ」ことをいう。この法衣着用法は中国の本来の礼法と衝突する。しかし沙門は栄誉を捨て、世俗を超越した「至順」の境地にいるものであるから、必ずしも「一域」の風習であるところの中国の礼法に従う必要を認めないと慧遠は説く。