廬山慧遠(334-416)の念仏は、三昧の深い瞑想のなかでありありと仏を観ることをいう。 修行者は戒を守り、静かな場所で仏像あるいは仏画を観る。想いが静かになり気が虚となって瞑想に入る。すると阿弥陀仏をはじめとするさまざまな仏の像が現れて光り輝き、自と他との区別も消失し、空を体得して智慧が生じる。このように三昧の定中に見仏することによって、空を体得し、同時に定中に現れる仏の感化によって神を純粋化して究極の境地に合致させる。この空の体得と神の純粋化とを一致させ統合することによって、究極のさとりへと到達し