廬山の慧遠(334-416)の「仏影銘」の文中の「南国律学道士」に誰を否定するかについては、いろいろ議論がある。小論においては、法顕とみるよりもむしろ「南国から律を伝えた僧たち」として、不特定の人々を指すと解釈するのがより妥当である旨を述べた。