譲治が高等工業に入学するための準備をしていた明治三〇年代後半は、現在の学歴社会につながるような枠組みが形成された時期である。この時代背景の中で、譲治のような中間層に属する者は、上層階級のハビトゥスを規範とした趣味教育を家庭に持ち込もうと試みる。しかし、社会的価値の基盤である「学校」という制度の外側でこのような〈教育〉を施されたナオミは、譲治の予期しない形でそれを利用していくことになるのである。