この研究はアメリカ市場における日本の民政用電子企業のグローバル・マーケティング戦略に関する歴史的研究である。日本の民政用電子産業は自動車産業と並んで早くから世界市場を対象に国際マーケティングを積極的に展開してきた産業である。日本の民政用電子企業がいかにアメリカ市場に参入し、アメリカ市場を開拓し、そこで競争優位を実現したか、マーケティング戦略、とりわけ製品戦略と流通チャネル戦略の観点からの4つの段階に分けて歴史的に研究した。
第1段階 単なる輸出の段階(1950年代末から1960年まで)
第2段階 輸出マーケティングの段階(1960年から1975年)
第3段階 現地生産によるマーケティングの段階(1976年から1990年まで)
第4段階 グローバル・マーケティングの段階(1991年から現在まで)
それぞれの段階において日本企業が重視した戦略は、絶え間ない技術革新によって製品とコスト優位のみならず、これらと結合して優れた流通チャネルの形成であった。アメリカ市場は日本市場に比較し流通チャネルの多様性と変化の激しいため、流通チャネルの構築と管理、統制が競争優位の決定的に重要な条件となる。第1段階は国内向け製品の余剰を輸出する段階で、そのときのチャネルはアメリカの輸入業者を活用し、販売はまったく現地の流通業者任せであった。第2段階ではいかに日本の製品を安いコストで大量に販売するかが大きな課題であった。ここではアメリカの全国量販店とPB契約またはアメリカメーカーとOEM契約によって参入し、全国市場での販売を可能にした。
第3段階では現地に工場を移し、PB契約とOEM契約と平行して独自ブランドの戦略を重視した。ここでのチャネル戦略はGMSやカタログショールーム、ウェアハウスクラブなど量販店向けのチャネルと専門店向けの選択的チャンネル、いわゆるdual channel戦略を展開し、どちらかといえば専門店重視のチャネル戦略に重点を移行し、自のブランドロイヤリティを高める戦略を採用した。第4段階では競争がアメリカ市場だけでなく地球規模で展開され、アメリカ市場に進出した日本企業は日本の親会社、さらにはアジアに進出している日本企業と密接な連携のもとで製品を開発し、全世界から部品を調達しアメリカで組み立てた製品はアメリカ市場のみならず、日本やアジア、ヨーロッパに供給するようになった。グローバル競争のなかで、とりわけアメリカの国内市場での競争は喉笛を切るような激しい競争が展開され、それに対応するため、有力小売業は情報技術をてこに取引革命をすすめ、メーカーも情報技術の変革と製品の絞り込みによって、収益重視の戦略を追求を始めている。