藤原宇合が節度使として西海道へ下向するにあたって、宇合は辺境への従軍を嘆く辺塞詩を創作し、虫麻呂は待つ女の立場で武功と帰還を願う和歌を創作した。漢籍の辺塞詩と閨怨詩を受容した両者の和漢競作であったと見られる。