大津皇子作とされる七言二句に、「後人聯句七言二句が付された作品「述志」詩がある。大津皇子は、自身が主催した宴会で、皇帝を中心として行われた大陸の文雅である「聯句」を模倣した。雄大な自然美を比喩的に描出した大津の七言二句はそこで創られた。それに対して、「後人」が『中論』の一節を介在させ、自然の造化を表現する大津の二句を国家統治への志と読み替え、「聯句」を付すことで「潜龍」のまま終わった不遇な皇子として形象化したのである。