八世紀の日本では、吉野は神仙境として捉えられ、『懐風藻』所収の吉野詩群では、吉野が非現実世界の仙境と同一視される。しかし、藤原宇合「遊吉野川」詩は、吉野は仙境ではなく、現実世の周縁に位置する脱俗の場だと主張する。宇合詩は、吉野を現実世界に留まりながら脱俗の境地を達することが可能な場だとする認識を示している。