藤原宇合「奉西海道節度使之作詩」は、自らの西海道節度使拝命を契機として、辺地出征に対する不遇感を表出したものである。宇合の歴史的事実と一致するため、従来は宇合の個人的な不遇感の吐露と解されてきた。しかし、一般兵士の代弁者としての知的営為と捉えるべきである。宇合は漢籍の辺塞詩に学び、辺境出征の苦難を詠出することが、知識人の漢詩文創作のありようの一つと理解したのである。