陶淵明が、故郷を俗世と峻別し、桃源郷を俗人が拒絶される境地とするのに対して、魯迅は、故郷も俗世そのものであり、理想の世界は希求すれば出現するとする。魯迅は、陶淵明作品の設定とモチーフを用いながら、故郷の田園という脱俗の境地に身を置くのではなく、俗世で希望の実現をめざして戦うことが真の隠逸であり、知識人としての役割であるという、陶淵明とは異なる考えを示している。