法然没後の専修念仏教団にとって最大の法難事件とされる「嘉禄の法難」事件について、事件で処罰された専修念仏者と、事件当時京都近郊に居ながら処罰を免れた法然有力門弟には、法系・俗系においてどのような違いがあったのかを考察し、本事件が延暦寺内のセクショナリズムに依る部分が大きいととを示した。そして、本事件を国家による思想弾圧であるとする理解が一面的であることを指摘した。