鎌倉期の専修念仏教団における入門・附法儀礼について検討。「没後起請文」を古文書学の観点から一定の信頼が置けることを確認した上で、法然庵室では入室弟子と同法者の区別があったことを指摘。当時の財産処分の原則からすると、法然の正統な相承者は入室弟子の中でも信空に当たると考えられるとした。その上で、法然の許に参学する者の中から『選択集』付与を附法と解釈する者が出現することにより、法然没後の分派が促されたと結論付けた。