本論文は、17 世紀のチェコの思想家ヨハネス・アモス・コメニウスの形而上学的な著作について考察した、『広島修大論集』第63巻第 2号の続編として、コメニウス青年期の著作『第一哲学』 の第 3 部の第 7節までの仮訳が示した。 コメニウスはもっぱら教育改革者としてみなされてきたが、彼の教育的思想は彼の哲学的探求を通じて生み出された。 これは、彼の教育思想全体を理解するには、彼の哲学を遡及的に考察することが不可欠であることを示している。 『第一哲学』は 1630 年代初頭に起草され、3 世紀にわたって知られることはなかったが、短いながらも晩年のパンソフィア形成に向けた彼の形而上学的思考の過程を把握する上で重要である。