本稿は、近代中国における知識人・メディア・ナショナリズムの三者の相互関係を、鄒韜奮及び生活書店という限定された歴史事象を一つの事例として参照しながら、理論的枠組みから再考しようとするものである。「報人」と呼ばれる「メディア知識人」は、近代中国の輿論形成には、活字メディアの機能がし、極めて大きな影響をもたらした。また、彼らは政治的な中間地帯に立つ「第三勢力としての知識人」とも深く関係している。一方、清末以来たびたびに起きた排外主義運動(とりわけボイコット運動)において、発達してきた活字メディアが果たした役割は極めて大きい。しかし、ここでもう少し考えなければならないのは、メディアの言説に対して一般民衆(読者)がどのように反応し、どのように受け取ったのかということである。すなわち、高揚するナショナリズムの表象として登場した言説ははたしてどの程度まで浸透していたのかという問題である。ナショナリズムとメディアの関係を論じるとき、その普遍性/共通性だけでなく、多様性/独自性という点にも留意すべきである。