1940年代後半の中国において、作家・ジャーナリスト・芸術家などの知識人/文化人が大移動していた。本稿では抗敵演劇隊第一隊を具体例として取り上げ、一部新しい史料/資料を加えながら、その変遷(どのようなルートで移動したのか)・構成(どのような組織によって動員されたのか)・活動状況(どのように活動資金を捻出したのか)及び直面した諸問題について考察する。とりわけ、移動演劇隊の活動にどのような困難状況(脚本作り、舞台と装置、方言及び少数民族言語などに関して)があったのか、またそれに対してどのように工夫して対処したのかについて検証する。次に、映画『八千里路雲和月』を分析対象として取り上げ、映画では移動演劇隊の状況がどのように表象(「再現」)されているのか、及び観客の受け止め方について考察し、演劇隊員たちの戦中から戦後にかけての心境的変化にも注目する。最後に、映画のなかに映し出された人物像は同時期の知識人/文化人たちの運命とどのように重なっているのか、とりわけ、国共内戦末期における中国の知識人の「選択」への影響はどのようなものだったのかについての議論も視野に入れる。