本稿は、雅礼協会(Yale-China Association)の近代中国における活動を考察するものである。中国は雅礼協会の活動初期からその主要活動地域に選ばれ、湖南省長沙市がその拠点であった。1906年、ヒューム博士(Dr. Edward Hume)が長沙に「雅礼医院」と「雅礼学堂」を設立した。のちに、雅礼学堂は雅礼中学・雅礼大学へ、雅礼医院は湘雅医院へと発展、規模を拡大した。湘雅医院の設備・人員・患者数などに関する具体的な考察から、湘雅医院が内陸都市長沙において果たした役割を垣間見ることができた。まず、病院の施設や設備は、当時の長沙では最新鋭であった。また、医療活動に直接携わった人々も、ほかの病院に比べると突出していた。そして、看護学校の設立によって看護人材の育成が可能となった。こうした湘雅医院の規模や活動は、その後の長沙の公衆衛生の向上に大きな役割を果たしたと言えよう。