日中戦争期において、日本国内及び当時日本の植民地だった満洲・朝鮮・台湾などの各地域で国策映画が宣撫・動員の道具として広く使われた。本稿では、戦時下の映画巡映に深くかかわり/利用された小型映写機そのものを対象とし、「戦争プロパガンダ装置」の一つとして位置付けしている。具体的には、戦時下の移動式メディア・プロパガンダにおける技術的要素という視点を提示したうえ、当時の小型映写機の製造・利用情況を整理し、さらに小型映写機に関する宣伝広告に見られる国策動員の表象を考察した。満州における大規模な巡回映写が展開されるなか、日本光音工業製16ミリトーキー映写機は「文化の武器、宣撫の武器」として、大いにその威力を発揮するようになった。小型映写機は名実とも戦争プロパガンダ装置の一種となったのである。