本稿では、鄭君里の話劇活動に関する包括的な考察を試みる。鄭君里は話劇人ではなく、映画人として認識されている故に、これまで看過されてきた鄭君里の話劇活動を明らかにすることが本稿の目的である。まず1920年代から1940年代までの鄭君里の話劇活動の全体像を、彼の舞台出演経験・執筆した関連論文や著書・西洋演劇理論の受容といった複数の側面から確認した。鄭君里が多くの舞台で役者として活躍する傍ら、幅広い関心をもって様々な芸術理論の研究も行った。多くの西洋演劇家による芸術理論にも高い関心を示し、とりわけロシア人演劇家のコンスタンチン・スタニスラフスキーに注目し、翻訳などを通して中国国内へ紹介した。日中戦争期において、「文芸抗戦」の課題に応じ、『論抗戦戯劇運動』という戦時下の話劇運動の在り方を論じる著作を出版し、それは同時期の同じジャンルの論説においても際立って優れているものと言える。話劇と映画の二種類の文芸ジャンルを交互に経験・活躍した鄭君里は、話劇と映画の間にある継承的な性格をはっきりと認識していた。