戦前アジアの国々では、日本人による数多くの新聞や雑誌が発行された。近代上海は、有数の国際都市であり、様々な言語の活字メディアが数多く存在した。本稿は、現地日本語メディア『上海』を具体的に考察したものである。まず、雑誌『上海』の創刊経緯について、その発行動機と總合雑誌としての編集方針から考察する。次に、『上海』の定価の変遷と掲載する広告という二つの側面からその経営状況を分析する。さらに、表紙に関する考察を通して、総合雑誌として生活についてもう一度確認する。最後に、誌上から当時上海(とりわけ租界)の情勢に関する考察を加える。