『心学五倫書』は、数度の出版を経た教訓書であったが寛文七年に至って、唐突に滝川如水『滝川心学論』によって反駁された。この如水の反応は、寛文六年前後に備前藩でとられた排仏政策に関連付けられたものであった。とはいえ、仏教を儒教に対し擁護する反論態度は『儒仏問答』や『清水物語』に見られた儒仏論争で展開されたのと同様の内容を含んでいた。一方で、『滝川心学論』を子細に検討すると富貴観に独自の要素を見出せる。