近世の旅文芸では、富山道冶『竹斎』に由来する二人行脚の系譜が第一に挙げられる。一方で、狂言作品「見物左衛門」の主人公見物左衛門に由来する一人行脚も江戸時代を通して、命脈が保たれていた。狂言作品「見物左衛門」は田舎住まいの僧侶が京に憧れ、京を見物するのだが、慣れない土地を訪れたために様々な失態を繰り返すストーリーが付随する。
見物左衛門は黄表紙作品に進出した。松壹舎作『東都見物左衛門(みやこけんぶつざゑもん)』(安永八・一七七九年刊)では息子の見物太郎が江戸の遊里をくまなく周遊する趣向がとられており、陀々羅大尽作・歌川豊国画カ『〈夫京都(それみやこ)/是東都(これもみやこ)〉見物左衛門』(寛政一二・一八〇〇年刊)では、見物左衛門一行が、慣れない江戸で様々な失態を繰り返す。また、並木五瓶作の歌舞伎『洛陽見物左衛門(みやこけんぶつざへもん)』(天明四・一七八四年上演)で、国家転覆をたくらむ荒木左衛門が潜伏時の替え名として見物左衛門を名乗るのはかなり異例である。