本稿では法然遺文における『往生要集』の受容について考察を加えた。『往生要集』から善導へと思想的拠り所が以降した後でも、『往生要集』の影響を残しつつその教学をうちたてていったことが確認できる。『選択集』で引かれる浄土三部経はすでに『往生要集』でほとんど引用されている。つまり『往生要集』の視点で引用されている箇所を、法然の視点に置き換えて再構築していることが分かる。