『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』を一具として「浄土三部経」としたのは法然が嚆矢である。ただし前二経の説時順序についての議論は唐代から法然以降に至る、通時的な議論である。本稿では僧肇、基、迦才、龍興、憬興、玄一の議論を追っていくことで法然までの議論を整理した。結果、最初は阿闍世を「王」とするか、それとも「大王」とするのかという議論であったのが、後には阿弥陀の四十八願を中心にしたものに移っていくことに浄土教の深化を見た。