棺槨形舎利容器の創始と流布の背後に、いずれも則天武后の存在があったことを解明した。まず、棺槨形舎利容器の文献上の初見である『集神州三宝感通録』の記事を取り上げ、法門寺舎利の形状と棺槨形舎利容器の創始との関係を考察し、則天武后には霊骨として尊崇される法門寺の真身舎利と自己とを重ねんとする意図があったことを指摘した。また、儀鳳年間に則天武后が主導して全国規模で実施した舎利頒布事業が契機となって棺槨形舎利容器が全国に流布したとみられることを論じた。