敦煌莫高窟の弥勒変相図は、兜率天の弥勒菩薩を描いた隋代の弥勒上生経変に始まり、唐代に入ると弥勒仏の三会説法を主体とする大画面の弥勒下生経変へと変化する。この変化について従来は、依拠経典の変化であり、上生信仰から下生信仰への変化に由來するものと解されてきた。本稿では、この転換期が武則天の執政期にあたっていることに着目し、これが倚坐形如来像の弥勒仏への固定化、倚坐形弥勒大仏の流行、という、いずれも倚坐形弥勒仏に関わる顕著な現象と同時に起きていることを指摘する。そのうえで、武則天が皇帝としての正統性を標榜するために打ち出した二つのイメージが弥勒仏と転輪聖王(金輪王)であったこととの関連を論じる。