田中智学の日蓮主義運動を、「法国冥合」(政教一致)という運動目標の実現方法の変容に着目して発表した。 「宗教の国家化」の実現を掲げた1880〜1900年代の運動と、「国家の宗教化」による「在るべき日本」の実現をめざした1910〜20年代の運動を比較し、後者は一定の大衆性をもったが、「法国冥合」の必要条件である「国立戒壇の建立」という宗教性を後退させたことを明らかにした。