宋代における外交には少なくとも王者外交と地方官府外交とが存在した。宋代の対日外交で見ると,地方官府外交が主となり,宋側明州,日本側大宰府が基本的にはその窓口となっていた。たしかに当時の日宋間では,王者外交がほとんど見られなかったが,代わって各国の地方官府が互いに外交を展開しており,決して政治的に没交渉であったのではない。両地方官府の折衝には,外交文書として牒状が共通して用いられた。これは日宋間だけでなく,高麗や遼・西夏・金などでも確認できる。よって,日宋間に限らない各国の地方官府外交は,東アジアにおいて牒