今日的な被差別部落のルーツである中世の河原者・清目から近世の役人(穢多)村としての蓮台野村の成立。明治初期の益井元右衛門・茂平親子による「身分取り立て嘆願書」の提出。「蓮台野(楽只)小学校」の創立、大正期には全国水平社連盟本部が置かれ初代委員長南梅吉を輩出。戦後は1972年以来、部落解放研究北区集会「きたけん」が半世紀近く取組まれてきた。 明治初期からの150年に及ぶ蓮台野村→千本の身分解放・人権確立に向けての取組。戦後の住宅地区改良事業による2回のまちづくり。蓮台野村の中世以来の通史を検証。