エマスンの『自然』を、母と子の神話的元型という観点から解釈している。この作品において「母としての自然」が「子としての人間」に一方的に支配されているプロセスが描かれていることを例証し、その不当な母への抑圧が後期エマスンの自然の側からの巻き返しを招いたのではないかと論じている。こういう神話的元型が『自然』の底流に流れているという仮説がこの作品の不明瞭さや繰り返しの多さを説明してくれるのである。